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明達寺
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法話
法話記録
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寺の行事の中心は、法話であり、明達寺で行われる年間の法話は、すべてビデオ記録されています。住職の方針で、掲示に書いた仏教の言葉を中心に、即興も交え語られますが、大抵は一時間前後の長さがある。本数も多く、全部
リンクするのは現実的でないので、近年のものの中から、五分ほどの抜粋を幾らか選びました。(メニュー右下ボタンでBGM消す。) 別に、「法話について」というページがあるのは、聞く人のために考えられた形です。「仏教のコンテ」は、書下ろし文の一例として、加えられたものです。
話者と聴衆の絆は、むしろ後付けのものです。実は、各々の人自身の、阿弥陀仏との対話に、総ては支えられている。そういう対話の呼吸が、爽やかな峰を渡る風のように、座に満ちることがある。私は子供の頃、本堂全体が一枚の絨毯になって、皆で空を飛んでいるようだったね、と言って、母親に笑われたことがあります。そんな記憶には遠いが、今の明達寺の有りのままの、大切な回向の時の収録です。 (暁烏照夫)